サム・カルナ=マレーシアバティック界で神秘的存在として注目を浴びている彼は、ペラ州で育ったものの、数あるバティック芸術家が精神的拠所とし、又その名を上げたバティックの故郷、ペナンに新世代のバティック画家として自身のあるべき地を見出した。

  サムは祖国でより海外で名を馳せており、我々はバティック芸術に関する雑誌、新聞にてしばしば彼の名を目にすることが出来る。これはひとえに、多作を重ねるだけでなく、芸術関係の外国人教師、学生又バティック芸術を愛する人々のためのファイン・アート・センターを開設する、(今日までに、およそ5000名以上の外国人が彼のコースに参加しており、その内80%は日本人である。)といった彼のバティック絵画に対する姿勢に起因する。

  バティックはジャワ語で蝋けつ染のことである。バティックはインド、ペルー、中国といったところで早くから作られポリネシア諸島で主流となったため、源流がマレーシアあるいはインドネシアといったことは定かではない。

  バティックは17世紀にジャワや東インドでの貿易を通じてオランダに紹介され、先ずオランダの芸術家その後アメリカのアーサー・クリスプやピータ・ミヤーがこの優れた芸術の可能性を探求したのを始めとする。

  マレーシアの芸術家が常に新しいバティック画法を編み出しているものの、バティック主題の技法は殆ど伝統的な手法に則っている。―つまり、蝋割れ、色毎の区別、明確な図線に見られる図案である。

 

  サムはバティックを更に発展させた。

60年代から活動をはじめたサムは水彩画や油絵に取り掛かり、バティックの研究を2年続けた後、模索していた技法を見出した。ペナン、シンガポール、バンコクでの展示会の後、オーストラリアでの展示会開催を進め、10ヶ所で個展を開いた。以来、オーストラリアには頻繁に足を運んでいる。他のバティック芸術家よりバティックの技術を更に高めた、ここにサムの魅力がある。

いまや、バティックに対して他の画家とまったく異なる独自の概念をもつ彼は、バティックの巨匠とまで呼ばれている。

  又、彼は独自の技術に関する評価を落とさぬように注意を払っており、他のバティック絵画には見られない細密さを生み出す秘伝の技法を守りつづけている。

  伝統的なバティックと違い、サムのバティックは通常用いられている区切り模様やよく使われる題材は用いておらず、彼の絵画を支える題材には更なる統一性が見られる。彼の作品は初期に学んだ水彩画法を用いて、点描画法的な表現を生み出すことにより、内から湧き出でる美しさを醸し出すのみならず、より絵画的な夢の世界のような雰囲気を漂わせるため、水彩画かクレヨン画かと見まちがうこともある程だ。

  サムは今日も目に映るままのマレーシアの生活、風景、野生、又花や動物に筆を遊ばせる。

 

J.ANU

画家/Star新聞美術担当記者